古典落語
Post by 喜八
城内実さんの趣味といえば、ご本人がつねづね仰っているように「SP盤レコードの蒐集」ですね。
なんと! すでに数千枚の「SP盤」を保有されているそうです。
このSP盤は昭和37(1962)年を最後に生産中止となりました。
したがって昭和34年生まれの私(喜八)でも子供のころ祖父母の家で見かけた記憶がかすかにある程度です。
もっとも、レコード・プレイヤー(見たこともない若い人も多いでしょう)にはSP用の「78回転」・EP用の「45回転」・LP用の「33回転」の切り替えスイッチがあるのが普通でしたから、「SP」とか「78回転」という言葉には、ある種の懐かしさを感じます。
CDが普及して以降は急速に「レコード」は衰退しました・・・。
なんて、こんな話をしていると、いかにも年寄り染みた気分になってきますね。
(とはいえ、私より若い城内実さんは「SP盤」の話を堂々とされているわけですが)
城内実さんが蒐集されているのはクラシック・ジャズ・歌謡曲などの「音楽」ジャンルのほか、「政治家の演説」や今でいう「ニュース解説」、はたまた「落語」など多岐にわたっているようです。
私(喜八)は言語道断な音痴でありますし、なおかつ生来のノーテンキ者のせいか、上記ジャンルでは特に「落語」に心惹かれます。
平たく言えば、落語が好きなのです。
城内実さんがたびたび言及されている明治時代の落語家「快楽亭ブラック(初代)」の噺(CD復刻)を聴いたこともあります。
この快楽亭ブラックという人がオーストラリア生まれであったことは「ちくま文庫」の『明治探偵冒険小説集 (2) 快楽亭ブラック集』(2005)の解説で知りました。
落語という大衆芸術は、難しいことを言わずに「あはは」と笑って楽しむのが「粋」というものだと思いますが、そこを敢えて(?)ヤボなことを申し上げますと・・・。
落語のジャンルのうちでも「古典落語」というのは、まさに「古典」でありまして、いま全ての分野で自信を失っている日本社会を建て直すためにも、もっと「古典落語」が注目されてもいいかな、なんて思ったりするわけです。
「古典落語」に親しまれているかたならご存知のように、落語の世界は、思慮深いけれど口うるさい「ご隠居さん」、因業だけど人情もある「大家さん」、短気だが気風《きっぷ》のいい「鳶の頭《かしら》」、道楽が過ぎて勘当中の「若旦那」、大愚か大賢かよく分からない「与太郎」さんなど様々な人物たちが、江戸だか明治だか、はたまた現代か分からない世界で永遠に生き続けています。
ここに、私は江戸・明治・大正・昭和・平成と続く歴史の連続性、古典の継承を見るわけです。
一般に考えられているよりは、江戸時代と現代は断絶しているわけではなくて、確実につながっている。
いま自信を失っている我々日本人が、日本の歴史から「善いもの」を見出そうとするとき、「古典落語」を介したアプローチは相当に有効ではないのか?
なんてのは、まあ、どこからどう見ても「屁理屈」でしょう(笑)。
落語にでてくる「粋人」ぶった「半可通」の若旦那のように、私もついつい気障《きざ》なことを申し上げてしまいました。
なんだか、とりとめもなくなってきましたが、この辺で一応「まとめ」ます。
現代の日本人に求められているのは「より良い国」日本を実現すること。
すなわち「平成の中興」です。
そのためには、自国の歴史・伝統をよく知る者、単にアタマで理解するだけでなく、肌で知っている人物こそが求められるでしょう。
そして、その人は我々の目の前にいます。
城内実さんです!
明治の落語家にまで目を向ける城内実さんこそは、危機の時代の政治家として、最も頼りになる存在ではないでしょうか!
なんて物凄く強引な「結論」ではあります(汗)。
「落ち」も何もない不出来な一席ではありますが・・・(散々考えたけれど、思いつきませんでした)。
お後がよろしいようで。
はてな
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